学校の紹介  概要

   
学区の概要

 広島市の南東部に位置する楠那学区は、北に黄金山を背負い、南は仁保沖町・マツダ仁保工場の近代工業地帯の間に位置している。また、東西約3qの帯状に細長くのび、四季折々に変化を見せる黄金山のすそのに広がる静かな住宅地である。

 昔は、広島湾に臨み、気候温暖・風光明媚・半農半漁の静かな村で海外移住民村として知られていたが、現在は埋め立てによってできた工業地帯や山を切り開いてできた団地の影響で他地域からの転入があり現在に至っている。また、昭和49年の広島大橋、平成3年の海田大橋の完成で、呉・海田方面へのアクセスも便利になった。
さらに、平成22年5月に広島高速3号線が開通し、地域交流がぐんと広がってきた。児童は明るく素直で、楽しく学校に通っている。

 楠那公民館編集の「20周年記念誌」(平成13年編集)「楠那学区の歴史」(昭和58年編集)から、元禄4年(1561)、毛利元就・輝元親子が、宮島の大鳥居を再建した際、鳥居の脇柱は、黄金山(当時 仁保島)の南側(丹那・楠那)に自生する楠を、伐採し使用したと、古文書等に記されています。(なお、真柱は能美島の神社の楠のようです。)
 当時の楠那の海は浅く、伐採地から、沿岸までが近く、楠を宮島へ運び出すのに絶好域であったようです。

 文化11年(1814)に作成された古絵図には、「くすな」は楠名と記されていましたが、宮島の鳥居の楠と結んで「楠那」の地名がつけられたとも、記述されています。
 ※「那」にはいろいろな意味がある中で「安らぎ」の意味をとれば、「楠那」は楠の木で安らぐ地となるとも記されています。



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